国民皆保険のなれのはて
2025-03-14


国民皆保険は1961年に完成した。

医師が保険制度に協力して成立したから、国に対抗して保険医総辞退という荒業も早期には可能だった

本来、「保険」というものは、いざというときに役に立つ、という程度のもののはず。

ところが、専門をもって開業する医者たちは、それまでなら医者にもかからんかった軽症者をちまちま集めて金にするというスキームで儲けるようになった。
そうなるとこれは美味しい制度です。

労働人口は多く保険年金料が国庫にバンバン入るもんで一時期は高齢者自己負担なしなんて馬鹿げたことが起こった。健康を安価に丸投げできる錯覚で医者に通う人が増え、のちには「予防が大切」という美名もつかわれた。
死なないようとことん病院で治療しても金になった。すべて出来高だった。

そこからじわじわ労働者が減り高齢者が増え、財政が悪化して点数が下がっても、保険に依存してしまった医者患者は、開業医の軽症者多数診療と病院の底なしの終末期医療から逃れられず国庫の支出は爆上がり。

いまや歳出の3分の一が生活保障関係で、高齢者医療は大きな部分を占める。少なくなった勤労者世代からの年金保険料では全然足りない。国債もこれ以上は出せない。当然、国の締め付けは厳しくなる一方。保険使用状況チェックのため電子化も図られ医者側の事務や設備負担も増大。

保険制度下で専門医が多数の軽症者のあがりで開業維持するのはすでに困難。病院は補助金で維持されてる。

そら新規に医者になるもんで直美は増えて当然

つまりいまおこってることは、高齢者の少ない高度成長期の余裕につけ込んだモラルハザード(あえていう)のなれの果てなんだと私は思う。

労働力再生産でない分野の医療は「ものを生み出す」ことにつながらないのだから、余裕の範囲でしかできることではない筈。

かにかくに、高度成長期の医者のウハウハは制度の産物だったわけで、今はもうちょっとでも金になるところは厚労省が穴を塞ぎに来る。医療機関はそれでも穴を探してうろうろする。それをいいことに厚労省はどんどん医療側の負担を増やしながら都合の良い制度にしていこうとしてるけどそれは保険制度にみんなしがみつくという前提なわけです。

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