ところが近代になって文化度があがり、乳幼児の生存率が上がる一方で、社会的な人間を仕上げるのにコストがかかるようになると当然出産数は減る。後継男子のいない夫婦があれば代わりに女子を使う必要がある。男子をつかいつぶす状況もあったりするわけで(大粛清後のソ連とかね)、女性に教育を施し、安全に社会生活を送れるよう、さまざまに社会のシステムがかわっていく。
社会そのものが女性を保護、というか他者から危険でない状態に維持できる、女性にとってより安全な社会では個人によって守られる必要がなくなるから、そういう意味でのパートナーシップは減って当然。
その状態で相手として選ばれるのは、ほんらいの性欲の対象である「カワイイ」存在で、男女を問わない。いまどき売れるホストは基本童顔、百合も流行している。
異性愛はオスがメスを獲得しメスが保護を得る必要から結果的に定着したものなのではないかね。ジュディス-バトラーがそういう意味で言ってたか知らんが。
もひとつ書くと、社会の安全のおかげで肉体的危険から保護してくれる個別の存在が不要になったとき、ヒトメスにとって自分を扶養しないカワイくもないヒトオスを法的なパートナーにする意味はほとんどないんでないか。ヒトオスの多くが「カワイイ」を手放してきた状況で、主夫は決してメジャーにはならないということです。この部分での双方向性のなさはどうしようもないように思う。
ゲイではムキマッチョが主流なのはどういうことかについては、いま考えています。肉体的な強化がメスにとって自分の保護のための発情を状況によってはもたらすことがあるものであるなら、自分の保護が最優先とはいえないオスが発情するのはどういうことだろう。
なんにしても、少子化がおこるのはあたりまえ。そんな社会に永続性があるとも思えない。
金持ってマッチョな男が非力な女性を従えるスキームの社会の方が継代存続する蓋然性が高いのは仕方ないんだろう。
多様性が多様性を滅ぼすんじゃないですか。
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