旧い映画の旧い文化
2023-06-03


京都文化博物館で小津の無声映画「落第はしたけれど」1930年

すでに文化としていまいち理解不能になってる。
カンニングのための努力が無になったところで「頑張ったのに」とかまじめに慰めるカフェの女給を、お笑いと受け取っていいのかどうなのかよくわからない
シベリア(ヤ?)らしいもん食ってたりで、宮崎駿の「風立ちぬ」が好きな人には同時代資料にはなるんでないか。
田中絹代がむかしから目が小さかったのはわかった。

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インド、サタジット‐レイ監督の「大樹のうた(オプーの世界)」では、カンニングしまくりの卒試風景がまじめに出てきた。文化の違いは地域もそうだが時代の違いも反映する。93年前の映画でえがかれた、カンニング失敗で落第の状況をどううけとっていいものやらいまとなってはわからんのですね。
太平洋戦争前の映画は、すでに異文化といっていいものが多くなってると思う。

日本の本格トーキーは翌1931年の「マダムと女房」、スピードホイホイと楽しく歌ってましたが、ドイツでは同年ラングが映像にも音にもこだわった「M」だしてて彼我の差はすごかった。ラングがすごかった、というべきかここは。トーキーはじまって数年の作品にして、盲人が口笛(グリークですっけ)きいて犯人に気づくとか音を最大に利用、窓を超えて動くカメラワークとか、いまみても一級品ですよ「M」(誰に向かって言ってるのか)。関係ないけどメトロポリスのマリア脱出のシーンはどっかに残ってないのか。

新しい映画観ようと、久しぶりに旧い映画観ておもいました。

小津はこのあとの生れてはみたけれどはタメがあってずっといい、突貫小僧が元気ですが腕白小僧という代物も文化の所産やなあ。
6年後にはやっとトーキーの一人息子。小津がほんとうにすごくなるのにあと20年かかった。遺作の秋刀魚の味は折に触れては見直します。

メジャーなクラシック映画の名前ばっかりでどうもです。
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