感想 青の帰り道
2018-12-09


ですね。
この人がカナを歌に誘い、死んでなお、その歌でカナを救う。関係性で言うと、むしろカナはクリーチャーで、カナの暴走はクリエーターを失ったからともいえる。
お話としてみると、べつにこの人が死ななくても似たようなオチにできると思うのですよ。映画がこの時間では済まなくなるけど。

一方で、実生活において要所でカナの背を押しもしくは守る、リョウというのが、悪いことはするけどむかしを忘れてはいないアツいやつという感じで現れる。
この人のありようが、これまた、なかなかご都合がよろしいのです。タツオに犯罪の片棒担がせる、つまり具体的な行動をとらせる一方で、カナの転落を押しとどめ、最後はマネージャー上司への復讐に至るのだから、この人は実はカナが実現できなかったことを行う、カナの分身といっていい。
それにしても、「世の中はそんな甘いもんじゃねえ」というセリフがここまで裏切られるとはねえ。ここも、カナの空々しい転落の描写に近似している。脚本のクセですかね。

外部世界に出ない原初的な幸せぶりを描き、ストーリー上都合いいタイミングで子供が倒れてキリに転機を与える友人夫婦のシークエンスは、なんであそこでキリが泊まり込むのかいまいちわからんかった。
リョウといっしょに作業場に入る奴は、葬式での演説のために設定されたんですか?
保険会社に入ったやつに至っては、もうちょっと使い途なかったんかな。出世しないながらも元の人間関係から完全に外れていくという使い方もあったろう。それじゃ話が閉じないのは、わかるんやけどね。

各人の描き方がアンバランスながらも青春群像劇をやったということなんでしょうが、付き合いの狭く密度の濃いマイルドヤンキーの世界観をそのままどこにでももっていく違和感に、町の子のつもりのおっさんには、なかなか居心地が悪かった。「ほんものの仲間」はその中にしかいないという、再定義できない閉じた世界です。
いや、こういう世界こういう人間関係を描いたこと自体は、お話としてありですよ。
過去の自分たちを振り返るように、彼らはラストで高校生たちを振り返る。
未来系のノスタルジーというのは、いかにも少女マンガにありそうな総括です。あのねえ、あんたらまだ10年しかたってないんよ。その先も人生は続くんですがね。

そうじゃないから気に入らないというわけじゃないが、人間関係をばらばらにしながら青春はただおわっていく、というほうが、後から感じての実感に近いのは、「草原の輝き」をみた人はわかってくれるだろう。あの映画も、彼氏が手を出してくれなくてハイティーンの女の子がおかしくなるという、いまとなっては訳の分からない話です。ナタリー‐ウッドだからなあというのは禁止。
だからこそ強いつながりを描きたかったとか、なんとでもいえるけど。


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